twitters for the day

09:18 キバ:クイーンの造形がおもむろに以下略。
16:53 グラディウス・リバース。ゲームっていのも記憶の一つか。
18:27 僕はたぶんいくつになっても死を恐怖するのだろうけど、それでもあと20年も生きたら、自分の人生はふつうに終わりというか、自分の人生というものはそういうふうに定義される。イコール、死というか。社会的には意味はなかったけど、自分なりには意味があったとすればいいだけのことか。
18:28 自分からみると世界というのは自分がいなくなったら存在してもしなくても意味がないように見える。なのに、自分というのは世界のオマケのように意識させられるようにできている。つまり、反面、自分が死んでも世界があるような信念を植え付けられている。
18:30 歴史のifはないということになっているけど、歴史には多様なifがあって、私がまた存在する可能性があれば、そのifのなかに紛れ込み、歴史時間は消える、というのを仮定しても、別段不合理ではないような気がする。
18:31 前世というのが確信できれば、なるほど、死後もまた確信される、というか、数学的帰納法みたいなものか。ただ、前世というのはたぶん確信などできないだろう。自分の存在は由来をもたないに違いない。
18:32 50歳になった自分に、4歳の記憶があり、そして4歳のときに見た世界の記憶がある。たとえば1970年代以降に生まれた人の見ることのできない世界の記憶というのが私にはあり、私のなかにその世界がある。これは、あたりまえのことのようでなぜなんだろう。そして死はそれを消去させる。
18:33 4歳以前の私というのはかなり想起できない。それどころか、4歳の私の記憶とういのは、今の私の意識のなかにある。しかし、そうした4歳の記憶の意識のなかに住み直してみると、そこに50歳の私の意識があるということは、どこかしら生死を包括する私そのもの意識の座でもあるような錯覚がある。
18:36 よく「性格をなおす」みたいな話があるが、性格が変われば「私」が変わる。そしてある意味、「私」は変わる。ぶっちゃけ、性欲が弱まるだけで「私」は変わる。私の内在から私を変えることはできないのに、私は微妙に変わるし、そこに、棘のような細かい死のようなものがある。
18:38 青春をやり直したいとは思わない。まったく思わないわけでもないのは後悔は山ほど。でも、終わってしまった。若い日の私というのはもう有り得ないという前提に今の私がいる。私の死というのは今の私の延長にあると私は思っている。だけど、死は青春の、もう永遠に取り返しがつかない過去の私に ...
18:39 小学校に行く前から、眠るとき、死んだらどうなるだろうと恐怖した。ああやって毎日眠り起きて、50年が過ぎた。不思議な気がする。
18:40 子供のころから死が怖いという人がいる。多分に親の愛情とかそういうものの派生なんだろうと思うが、当人にしてみれば、逃れられない苦痛だ。この恐怖というのは、意外と他者には伝わらないものだなと思う。先月の文春だったか偉い学者が癌で死んだけど、その手記を読んで、ああ、この人は50 ...
18:43 死の恐怖というのは、これはもう言葉では言い表しがたい、発狂しそうな何かとしてある。もちろん、哲学的に説いても空しいような。中島義道大森荘蔵にそれを話して、「あのおなかにどーんとくるあれですね」と答えた。それだ。
18:44 大森荘蔵は死の恐怖というのを、結局、時間と私の消滅によって回答し、そしてそれに身体を慣らしたのだろと思う。私もそこに答えがあるんじゃないかと大森を追った。たぶん、でも、そこには答えはないような気がしている。
18:45 死の恐怖というのは、ある意味で、無となる恐怖だし、意識の消滅でもある。でも、最近思うのは、死というのは、やはり究極的に身体の苦痛なんじゃないかと考えなおしている。国家という幻想は、市民の身体に究極の苦痛を与えうるとして存在している、と、理解してよいような気もする。
18:46 歴史というのは書かれた歴史のことだという言い方がある。実際に何が書かれたかというと、その本質は、拷問ではないだろうか。歴史というは国家がいかに人に死を恐怖させるかという言葉の集積なんじゃないか。
18:49ギリシア語を学んでいたとき、天(男)は地(女)に雨という射精して命をはぐくむという神話的な構造がその言語に潜んでいるんじゃないかと思ったことがある。男は天界的存在だと言いたいわけではないが、地球とは縁のない本質かもしれないとも思う。生殖になぜ男が必要なのか、明確な答えは ...
18:51 近代の「私」というのは性の意識を疎外して成立する。吉本的な幻想論でも、個人幻想は対幻想から区分されているから、「私」を性から分離することができる、方法論的に。でも、それはぜんぜん違うんじゃないだろうか。私という個人幻想の核は、男であるということのせつなさというか自死的な志 ...
18:54 文学を読みながら、女というもんもの切なさや自死への志向というのを読み込むことができる。その意味で、というかそういう定式化では男のそれと変わりないようにも思える。でも、女のそれは自意識を抹殺しても密かに身体と欲望だけは生かしている、どころか、そのためにむしろ積極的に意識に死 ...
18:56 「男」の死へのニヒリズムとういのはどこかしら男である美学のようなものが不随するし、その美学の欺瞞ゆえに生きる回路がしくまれている。だから、そのループにあるのは、ぼろぼろになって汚くなって壊れていくことしかない。というか、男ってそういうふうに死ぬしかないようにできているのかも。
18:58 生命の進化のなかで、性のシステムが採用され(死のシステムと同様に)、そしてその一つのバリーションとして人間種の性がある、というのは、一見あたりまえようでいて、どうも逆なような気がする。性のシステムというのは、こういう男の意識を生み出すためのシカケじゃなかったのか。まあ、こ ...
19:00 ごく日常的なレベルというか、自分からどくどくと血が流れているというのが私には理解できないし、それは苦痛と結びつく。でも、女はそれはそれとして普通に再生のための血としてどくどくと流している。うっ、なんて存在なんだという畏怖感はある。
19:01 渋澤龍彦が生まれ変わったら単細胞生物がいいと言っていた。私は渋澤というのは世に言われているような才能はない人なんじゃないかと思うけど、感性はあった人だと思う。
19:02 生命がなぜ性と死を採用したのか。もちろん、これもまた進化論的な説明が与えられるのだろうけど、しかしなあ、おちゃらけになってしまうけど、性と死がない生命の連続というのは、平和でよいような気がするな。時間さえ気にしなければ、それでもいかようにも進化はあっただろうし。
19:03 霊とか宇宙人とか言う、アレゲな人々というのは、まあ、アレだよねというはあるけど、現代においての一つの神話的思考の開示ともいえる。で、それなりに聞いてみると、彼らは霊と宇宙人とかに、性のシステムを微妙にもたせたりもたせなかったりしている。
19:28 @odakin odakinさんからそれを聞くとはちょっと意外(いや単純に)。自分と4次元かあ。